厳しい修行から学ぶ〈書評〉一日一生

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おはようございます。まいんどーです。

会社の同僚と最近テレビゲームやってないよな、という話になりました。みんなそれなりの歳なので、家庭のこととかいろいろ忙しいんです。だからゲームやる時間がないならないで別にどうってことないはずなのですが、何かこう「ゲームをやっていない自分」というのが受け入れ難い、残念な状態だというニュアンスがある感じがします。多分、僕らの世代の共通言語というか、アイデンティティの一部なんじゃないかという気もします。だから、毎日忙しくてゲームやる時間がないのにこれから発売されるゲームが面白そうだとかつまらなそうだとか批評して、昔のゲームの思い出話をして、でもやっぱりゲームをやらない毎日を送っているのです。

というわけで今回は、

酒井雄哉著「一日一生」(朝日新書)

です。

 

【どういう本か】

比叡山延暦寺の千日回峰行を二度達成した天台宗大阿闍梨・酒井雄哉が、自らの半生と修行の中の学びについて語る。

 

【3つのおすすめポイント】

 

① コツコツと繰り返す

 

今と同じですよ。朝起きて、仕込んで、材料買いに行って、お昼にお店開けて、夜中に店閉めて、寝て、六時ごろに仕込みして。くるくるくるくる……。(16p)

 

このくるくる繰り返す、という表現が本文中によく出てきます。酒井氏は戦後父と共にラーメン屋をやっていましたが、その時の様子が上記の文章です。行者として歩く毎日も、ラーメン屋で働く毎日も、同じことの繰り返し。その中で、身の丈に合ったことを一生懸命にやるのが大事だと言っています。酒井氏は勉強が苦手で落ちこぼれだったと書いていますが、この「同じようなことを毎日繰り返せる」というのも一つの才能ではないでしょうか。繰り返しに飽きることなく続けられる、だから最終的に長期間の修行もやり遂げられるというのは繋がっているような気がします。

 

② 転機

 

世の中には、ただひたすらに行に打ち込む人生がある。翻って自分はどうだ。ただふらふら生きているだけじゃないか。(71p)

 

酒井氏は結婚してすぐ奥さんを亡くしてしまいます。その後叔母に連れられて比叡山に行ったことがきっかけで、ある時千日回峰行の過酷な「堂入り」という修行を終えた行者を見たことが、住んでいた大阪を出て修行生活に入るきっかけになったのでした。

ふらふら生きてしまっていたな、という時期は自分にもありました。後から考えるとどうしてもっと早く人生をちゃんと考えなかったのか、と後悔するのですが、大きな転機がいつ来るかは自分でコントロールできないような気がします。

 

③ 目的を持って生きる

 

「ノートと鉛筆でどうするの?」と聞くと、「それで勉強して北京に行きたい」とはっきり答えた。(170p)

 

酒井氏が中国のある聖地に向かった時に、お金を稼ぐために重い荷物を担いで山道を登る少年に出会います。少年が働く理由が、文房具を買って勉強して都会に出る、ということだったのです。そもそも僕たち日本人は文房具を買うのに苦労する、ということはほとんどあり得ないですが、環境が整っていても目的をしっかり持つということはできにくいのかもしれません。そのせいか、この中国の少年の素朴さがより印象的に感じました。

 

【ろがるポイント!】

 

「もういいよ。そんなことはどうでもいい」って言うの。「答えを出したらお前それおしまいにしちゃうだろう。永久に考えてろ」って。(84p)

 

大阪から比叡山に家出同然でやってきた酒井氏を受け入れた小林隆彰師が初めての修行の時に、禅問答のような難解な問題を酒井氏に与えます。その問題をなんと十年以上考え続けた酒井氏は、ついにその答えについて小林師に聞きますが、上記のような返事が返ってきたのでした。

「そんなことはどうでもいい」、考え続けるのが大事だ、というのはわかるような気もしますが、問題を出したその時ちゃんと答えは考えていたのかな?やっぱり答えは教えてほしいですよ。

 

【まとめ】

酒井氏の自然体の語り口に癒された本でした。「ゆっくりと、時間をかけてわかっていくことがある」という部分が、特に心に残りました。