大人のコミュニケーションとは〈書評〉上機嫌の作法

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おはようございます。まいんどーです。

昨日お話ししたことにつながりますが、生活のリズムがうまく作れていないと、精神的にもうまくいかないというか、無駄なエネルギーを使ってしまいがちな感じがします。同僚の何気ない一言に腹が立ったり、小さな失敗でくよくよしたり。後から考えるとなんでそんなことに捕らわれたんだろうと思いますが、その時はそう思わないんですよね。

というわけで今回は、

齋藤孝著「上機嫌の作法」(角川oneテーマ21)

です。

 

【どういう本か】

齋藤教授が円滑なコミュニケーションのために上機嫌でいることを「技」化すべきと提唱し、上機嫌力を発揮するための身体の作り方と、上機嫌の「技」化の方法論を語る。

 

【3つのおすすめポイント】

 

① 不機嫌が許されるのは、赤ん坊か天才だけである

 

人間は本来、すべからく自分の気持ちをコントロールできる状態にあるべきなのです。(17p)

 

教授は今の世の中が不機嫌な人に甘いことに異議を唱えます。確かに、今の世の中個人主義というか、周囲の人間に関心をあまり持ちませんし、集団の中でも話に参加せずスマホを見て自分の世界に入る、などということがわりと許されるような気がします。

少し前までの日本はそこまで自由ではなかったですよね。近所づきあいも今よりずっとあり、空気を読んで発言したり時には愛想笑いもしなければならないとか、自然に社会性が養われる環境だった気がします。今はそうではないからこそ、自分で上機嫌になる技を身につけなければならないということでしょう。

 

② 気分をコントロールするからだを作る

 

不機嫌なからだは、淀んでいます。あるいは、どこかに硬さがある、滞っている。

一方、上機嫌なからだは、柔らかく浮き立っています。(87p)

 

教授によれば、それが一番現れるのが鳩尾(みぞおち)、肩胛骨、首だそうです。肩胛骨、首が硬くなってくると、だんだん笑えなくなり、不機嫌そうになってくると。確かに調子のいい時、楽しい時は身体が柔らかい感じがしますし、機嫌が悪い時は身体が硬くなっている気がします。たぶん頭だけで「明るく振る舞おう」と考えても、明るい声を出そうとしても、身体全体から不機嫌さが相手に伝わってしまうのでしょうね。

 

③ 上機嫌の技化

 

スタートの声を合図に、グループになった四人全員が立ち上がって拍手する。そして発言者がイェイ、イェイ、イェイ、と声を出しながら、他の三人とパンパンパンとハイタッチをするわけです。そうやって気持ちを高揚させてから、聞き手の三人は座り、発言者だけが立って話し始める。(142p)

 

齋藤教授は大学の集中講義の中で学生たちに上機嫌のトレーニングを課します。それが引用にあるテンションを上げてからプレゼンテーションするという内容でした。そしてそれを三日間行います。学生たちは次第に疲れてきますが、教授は疲れた時こそ上機嫌になれなければ技化したことにはならないと追い込むのです。

もともと上機嫌でいることが少ない、不機嫌でいることが当たり前の学生がいたとしたら、かなりきつい訓練ではないでしょうか。でもこれぐらいやらないと、染み付いた習慣というか態度のクセを変えることはできないような気もします。

 

【ろがるポイント!】

 

ちなみに、不機嫌であることというのは、多くの場合、能力の欠如を覆い隠すためのものです。(143p)

 

ああ……若い時僕はまさにこれだったと思います。機嫌良くしていてもいいはずなのにいつも不機嫌に振舞っていた。少なくとも機嫌良くしているのはかっこ悪いことだ、という思いこみがありました。それは上機嫌に、自分をオープンにしてしまうと大したことない奴だと思われるのではないか、という恐れがあり、要するに自分に自信がなかったのだと今はわかります。

 

【まとめ】

 

この本は以前読んだことのある本でしたが、それを忘れていました。自分が不機嫌でいてうまくいかないことが人生でいろいろあったことを思い出し、改めて読んで「上機嫌力」の大切さがわかりました。今度は書いてあることをちゃんと実践してみようと思っています。